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アドバイザースタッフに聞きたい!

これまでのQandA
その他 保育士さんからの質問
善悪の判断ができるきっかけって?
現在、保育の職に携わっています。(歴2年)
(当方、未婚、子供なし)

1歳〜6歳程の子供に接しています。

例えば、何か悪戯をしたり、悪事をした時はもちろんですが叱りますよね?
この時、年齢、性別などにより言葉で説明すれば分かる子もいます。
が、殆どは分かっていないですよね。
時間が経てば忘れる子、数度言えば分かる子、何度も何度も言っても分からない子、パターンはいくらでもあります。

しかし、いずれは事の善悪を判断できる様になります。
そのきっかけって何なのでしょうか?
口で言っても分からないのが子供とも思えます。
年齢、タイミング、考慮しなくてはいけない要素は多々あると思います。
一体、どうすれば分かってくれるきっかけを与えてあげられるのでしょうか?

(浜崎 さん)


浜崎 さん、ご相談いただき御礼申し上げます。旭幼稚園、副園長の井上です。ご相談内容ですが、ちょっと具体的でない部分がありますので、一般的なこと、という前提で私の思うところを述べさせていただきます。

叱る、って難しいですね。なぜなら同じ行為に見えても「わざとやった」「判らなくてやってしまった」「面白がってやってしまった」「正当防衛としてやった結果、過剰防衛になってしまった」等々、ケースは様々です。ですからトラブルの数だけ叱り方があり、その子どもの性格や日頃の行動までを考えますと、叱るということは、叱る人の人間性が問われる「究極の選択」になることが多いように思います。その難しさはよくご存じでしょう。(だからご相談されたのでしょうね)

「判るようになるきっかけ」についてですが、正直私も判りません。私の場合、幼稚園ですから3歳以上の幼児が対象です。ですからそれ以前の子どもは、わが家の2人の子どもくらいしか経験がないのです。
あくまでも幼稚園の幼児対象に、という前提ですが、先ず「自分にいじめられた経験のない子どもは、いじめられた悔しさ・悲しさを知らないので、思いのほか乱暴な行動をとる場合が多いのでは」と思います。

まあ、私の幼稚園の場合、わざとやったという例は少なく、ほとんどが善意でやったことが、おせっかいと受け止められてしまう場合が多いのですが、それでもトラブルはあります。でも…相手の気持ちを考えてあげよう、自分がそうされたらどう思うか考えてみよう、等々の問いかけで気づく場合が多いようです。

ちょっと乱暴な言い方(たとえ方)になるかも知れませんが、その「いじめられた」と思う経験が後々どう人に接していくべきか・これを言ったら(やったら)相手は気分が悪くなるだろう、とか気づく源体験。いわゆる「生きる力」に発展するのでは?と思います。

ですから、判るきっかけも同様。言葉でなく体験として、自分自身の問題としてとらえてくれないと、いくら言っても効果はないのではないでしょうか?
きっかけは与えるものではなく、自分自身で気づくもの・獲得するものと思います。保育者のアドバイスで気づいたように見える場合があったとしても、本当はそれに気づく時期にきていたのかも知れません。根本的な解決方法は、その理解ができる時期がくるまで待つしか方法ないようにも思います。

トラブルはないに越したことはありませんが、集団生活を営んでいる限り、絶対に避けて通れません。それだけに同じ保育という仕事についている以上、叱り方やその解決方法、気づく「きっかけ」などについて共に考えてみたいと思います。

ご希望に添うお答えにならなかったかも知れませんが、お許しください。

(アドバイザー:井上智賀)


こんにちは。アドバイザースタッフの土居です。
私は保育士の経験もなく、単なる2児の母ですが、それなりに自分で思ったことを書いてみますね。

うちの子供も2人とも幼児です。なので毎日のように叱っています(笑)
言って聞く事もあれば、何度言ってもわからないことも・・・。
根気比べの所もありますね・・・。

悪いこと、いけないことは個人差はあるでしょうが、幼児期にはわかってる子がほとんどだと思います。
でも悪いこととわかっていて、してしまうのも幼児の特徴だと思います。

たとえば誰かの気をひきたくて(親、先生、お友達など)、いたずらをする子供もいると思います。
かと思えば逆に好きな人のいう事は聞く子供もいますよね。

叱ってもまたやる子もきっと頭では悪いことなんだとわかってはいるはずです。
なので大変でしょうが、根気よく何度でもしかってやってください。
先生(浜崎さん)の愛情はちゃんと伝わっていると思います。

幼稚園の先生方を拝見していると、頭の下がる思いでいっぱいです。
まだお子さんがいらっしゃらない、ということでわからない面もたくさん
あるかと思いますが、これからも先生として成長なさってくださいね。

ご期待に添えないコメントでしたら申し訳ないです。

(アドバイザー:土居聡子)


浜崎さん、こんにちわ。
えんどうです。

おそくなりました。私の体験をお話します。
私は、心理を10数年勉強してきました。
その中で自分自身が大きく変わりました。
もちろん保育に関してもです。
きっかけは、浜崎さんのように、子どもへの接し方に疑問を感じたことからでした。

コミュニケーションの原則は、“相手は変えられない、変われるのは自分だけ”と教わりました。
相手が“わかってくれる”から、自分が“相手をわかる”。
そして子どもの行動を見るよりも、心を理解しようという思いになりました。

悪戯、悪事というのは、こちら側の思いではないでしょうか。
たとえば友達のことを噛んだとすると、
噛んじゃだめでしょ、○○ちゃんは痛かったんだよ、もう噛まないんだよ。
から、私は、なんで噛み付いたんだろう?何か噛み付きたくなることがあるんだろう?
と悪いことと決め付けないで、疑問をもつことができるようになりました。

叱るというイメージは、今の私には、ネガティブに思うのです。
言葉がけもどうしても否定的になるようです。
否定的な言葉をかければ、分かってくれないという行動が、続くことを経験しました。
今は、できるだけ肯定的に、ポジティブに接するか考えていくようにしてます。
去年、1歳児で、やっぱり噛みつきがでてくる。その対応として、噛まれた子に痛かった思いをしっかり受けとめ、噛んだ子には、「ごめんねと、頭いいこいいこしてね、」というと大抵してくれます。
とその時に「えらいね、ごめんね言えたね。」「いいこいいこできたね。すごいよ」
と肯定的言葉をかけていきました。
お互いをOKにします。すると不思議と噛み付きは、なくなりました。
叱らなくてすむのです。
誉めて育てるは、子どもに自信を与え、肯定的な言葉をかけると、行動も自然に肯定的になっていきました。大人にも言えること。
これは交流分析という理論です。

私自身、人を肯定的に見れるよう、接しられるようになったのは、自分の中にある思いについて、向き合い、解決してきた経緯があります。
今の私の保育は、子どもの行動をOKと、受けとめることが多く、ほとんどダメということはなくなりました。
100%はありえませんが、なるべくです。
肯定的に思えると、私自身とても楽です。

人は、それぞれ思いが違います。
浜崎さんの思いもいろいろあると思います。
ご自身の悪戯、悪事と思うのは、どうしてだろう。
子どもへの接し方は、どんなだろう?と自分を客観的にみてみると、世界がひろがってくるかもしれません。

(アドバイザー:遠藤けいこ)


浜崎さんはじめまして大平です。
2年目でスゴイ壁にぶち当たってますね。
私個人的な意見を言わしてもらえば、そのきっかけは、目に見えるものではないので説明のしようがありません。

また私自身もそこまで理解できていないので…。
やはり子ども一人一人で違いますよね。
個人差はあるにしろ2歳過ぎあたりから善悪の判断は次第についてくるとは想いますが、理性が備わっていない事が多いと想います。
私は善悪より、その理性を育てる事を考えて保育しています。

その場合は、自分のしている事を客観的にみせる事からはじめますが・・
そこからはそのこの反応を見て変ってきますね…

ご参考までに…

(アドバイザー:大平太悟)


こんにちわ、保育士の浜田です。
私が2年目のときはまだ未婚でしたし、年長児を担当していたので若さにまかせて走りまわっていたように思います。
浜崎さんのようにじっくり立ち止まって考えていたような記憶がありません。

保育(子供の発達)についてじっくり立ち止まって考えているということは
すばらしいことだと思います。

答えはこれですというものははっきり言えないと思います。
一人一人環境や発達やその他、ちがうからですし、またはっきり答えがないから、保育はおもしろいと言えるし難しいのでしょう。

年齢が大きくなるにつれて、集団の力(友達関係)が大きくかかわってくることと思います。保育士と一対一だけではなく、集団に問いかけ、考えてみようとする子どもたちの姿勢を育てることも大切と思って保育しています。
年齢が小さい場合は簡単な善悪の判断はわかりやすく、繰り返し話し掛けていく毎日の積み重ねですが、大きくなると、状況に応じて善悪という判断が変わるときも出てきます。

例えば、散歩で歩いているときに、黙ってよその畑に入っていると遠くの方から見えて「こら!だめよよその畑に入ったら!」と注意しながら駆け寄ってみると「先生、Aちゃんの帽子がとんだんよ。とってあげよったんよ。」とか

細いくだりのきつい山道は危ないから、手を離しなさい!」と保育士が危険を
回避するために善と判断して指示します。しかし、なかなか手を離さないBちゃんに「はなしなさーい!」と担任が注意します。
BちゃんはYちゃんが不安で手を離せないでいるのを受けとめて、手を離せなかったのです。そのときはBちゃんの判断は善悪だけで判断しないで、おもいやりも見せながら、行動しています。

そのような自分で考えた判断ができるような子供に育てたいですよね。

何度言ってもまたしている、お友達の言葉に刺激されてお友達を押したり叩いたりする、落ち着いて行動できないなど、衝動的であったり、多動であったり、障害があるために繰り返し同じような困ったと見られる行動が続いている。
そのような場合は叱ることを繰り返すだけでは、行動は変わりにくいです。その点はその子にあった指導を考えてあげないと、集団のなかでいつもA君は悪い子、危ない子とレッテルがはられ一層自信をなくし、発達を保障しにくいでしょう。
その子のしんどさを理解するために、ADHDや自閉傾向などについて研修が必要と思われます。

子供たちの笑顔に励まされると、しんどくても元気出ますよね。

最後に、私がこの子をなんとかしなくてはとあまり気負うと大変しんどいし、保育内容もしんどくなります。
長い人生のわずかな期間だけど縁があって一緒に過ごせる時間を楽しくしましょうというくらいゆったりと関わっていくことも大切です。

継続は力なりです。オバンギャル浜田より

(アドバイザー:浜田栄子)




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