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落ち着きがなく、思っていることを言葉にできない様子 |
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こんにちわ。2回目の投稿になります。よろしくお願い致します。
三姉妹の長女(6歳)についての相談です。
今年、幼稚園を卒園し4月から小学校に通います。
とにかく、落ち着きがなく常に体のどこかが動いている状態です。
ご飯どき、テレビを見ているとき、乗り物に乗っている時、人の話を聞く時
など、体を揺らして見たり、びんぼうゆすりが止まりません。
注意されると下を向き、近くにいる誰かが手を出さないと1時間でもずっと下を向いたままそこから動きません。
それから、悪い事をして怒られた時も下を向き、次ぎに何をしたらいいか、誰かに言ってもらえるまでその場から動きません。
幼稚園に2年通い、子供の行動を園に話し注意してみていてもらっていましたが、バタバタやっているのはお友達から嫌なことされた時に出るだけで、気持ちが落ち着けば自然と止めていた、と言うお話がありました。
性格的には「おとなしい。恥ずかしがりや。思っている事をなかなか口に出して言えない」子です。友達間で、トラブルを起こした事はありませんが、何日か経って「あの時ほんとはこうだった」と話してきます。嫌な事があっもその場で言えないのでこういう行動を取るんでしょうか?
私にしても、自分の子供が何を考えているのかわからない事が多くて、どういうふうに手を出し口を出していいか分からない状態です。
文章がまとまりませんが、申し訳ありません。
アドバイスよろしくお願いします。
(ぴんくま さん)
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ぴんくま さん、ご相談いただき御礼申し上げます。旭幼稚園、園長の井上です。
ご相談内容、拝見いたしました。
まず子育ては、子どもの数だけ方法があり、正解はないということ。これをお話させてください。例えば同じような行動をとった。ひとりの子どもにある方法で接したら上手くいった。では同じ方法で別の子どもにも通用するものでしょうか。性格も行動も違うだけに、必ずしも上手くいくとは言えない。ここに子育ての難しさがあると思います。
びんぼうゆすりと言うか、身体を常に動かしている。これも何かのサインかも知れません。子どもは心臓のポンプ機能が大人に比べ未成熟なので、体の末端に行った血液を心臓に送り返すため、手足の筋肉の収縮を使います。だから常に動き回っていて「正常」なのですが、ちょっとこれとも違うような気がします。
私の園での話です。こんなことがありました。お母さまが非常に教育熱心な方で、常に理想の子育てを目指していらっしゃったようです。本当に細かな点まで注意する。これはこれで良いことと思うのですが、例えばお子さまが「○○ちゃんがイジワルしたけど、僕が止めたんだよ」と報告した途端「そう言う事は絶対にしてはいけませんよ。そんな事をしてら、お母さんは許しませんよ」と、まるでこの子がイジワルをしていたかのように注意し始めたのです。
私はその子の立場になって考えました。きっと自分の行動・考え方が絶対に正しいという自信があった。だから自分で正しいと思うことを報告し、最愛のママに「よくできたわね!」と誉めて欲しかったのだと思います。
それをお母様は「絶好の指導の機会」と勘違いされ、注意した。お母様のお気持ちもわかります。わが子が悪い行動を取らないように、念には念を入れた「つもり」でしょう。でも子どもの心としては「誉めてもらいたかったのに、逆に怒られた。僕は悪いこと、していない。いいことをしたのに怒られた」と感じてしまいます。
このような事が重なると、ママに言っても無駄。逆に怒られるだけ、と受け取り、だんだん話をしなくなる。自分では正しい行動をとった(つもり)でも、子どもが今までの、数少ない経験の中から判断したものですので、当然大人の目から見ると不足している事だらけです。当然「ここにも注意しなさい。ここが足りません」ということになります。これが度を越すと、「指示されたとおりになっていた方が怒られないから楽」になります。子どもなりに生活の知恵を身につけたことになります。
このような場合、いくらママに「子どもの気持ちになって考えてください」と言っても意味がありません。だってママは自分が正しいことをしていると信じ、自分のやったことに自信をもっているからです。
びんくまさんが、このようなタイプだとは思いませんが、ちょっと心に思い当た点はありますか?もしあったなら、子どもを信じてあげてください。一生懸命子育てし、子どもを見つめ、子どもを愛しているのなら、子どもは自分なりに考え、時には失敗しながらも(回り道はしても)正しく成長していくはずです。
自分の子どもを信じてあげましょう。失敗してもいいんです。それが次の経験になります。やらせてあげること。失敗を責めないこと。いい事をしたら、何も言わずギュッと抱きしめてあげましょう。それが100の言葉にも勝る何よりの「注意・確認」です。そうすることによって、自分で考え・自分で行動できる子どもに育っていくと思います。
愛すること・信じること。言葉では説明できないもの、たくさんあります。でも、人と人の関係、この「言葉にならない表現」のほうが数段大切な時が多いんじゃないですか?
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(アドバイザー:井上智賀) |
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こんにちは びんくまさん はじめまして浜田です。
どうしても、一人目のお子さんは、些細なことにも気になってしまいがちです。母としては当然のことですが。
私も、長女について、アレモダメ、ここがダメ、そこはこうだ・・等など口うるさく言っていたようです。
自分ではそこまでは思っていなかったのですが、長女が成人してから、言ったことがありました。
そのためかどうか、2番目の子供は一番目で疲れているのでうるさく言えず、自由奔放に育ってしまいました。
私の場合は極端ですが、どうしても一人目の子供さんは些細なことも気になって見て、注意をしている傾向があると思います。びんくまさんはそんなことありませんか?
幼稚園の先生はびんくまさんのように思っていないようですね。
個性としてゆったりと成長を見てあげてはどうでしょうか。
そのときはすぐに自分の気持ちを言えないとありますが、ほとんどの子はそうですよ。
少し待ったほうが落ち着いて言えると言うことはよくあります。大人でもそうではないですか?
わたしはよくあります。あの時はこうだったんだ、こう言えばよくわかってくれたのかもしれないとか・・・。
6歳にもなると、自分の行動の善悪は分かっています。
そんな時あまり追い詰めるように、しかると、お互いに感情的になってしんどいと思います。
少し「待つ」ということはとてもしんどいことですが、時には子供さんが自分から言ってくるのを待てるようにしてはどうでしょうか。
何も言わないで、見守るということは意外に大変です。
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(アドバイザー:浜田栄子) |
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